前回満開の桜のことを書いたので、今度は桜の詩歌のことを書こう。
またや見ん交野のみ野の桜狩り 花の雪散る春のあけぼの
藤原俊成の作で『新古今和歌集』に載っている。最も好きな桜を詠んだ歌だ。
交野は現在の大阪府交野市で、皇室専用の狩猟場があり、また桜の名所として知られていた。桜狩りとは花見のことで、み野の「み」は美称だ。
この時俊成は82歳で、老齢の身ゆえこの眺めを二度と目にすることは難しいだろうと自分に言い聞かせている。「交野」を「難し」にかけているという説明もある。(丸谷才一『日本文学史早わかり』所収の「花」。)
夜が明け始める時の幻めいた曙が、「花の雪散る」景色を非常に美しいものにしている。
木のもとに汁も膾(なます)も桜かな
松尾芭蕉の晩年の作。これも好きな俳句だ。桜の樹の下で、汁にも膾にも花びらが浮かぶという、花見の時の少し浮かれた雰囲気がよく出ていると思う。
2008年3月29日土曜日
2008年3月22日土曜日
等々力紀ノ国屋のこと
2008年3月20日木曜日
最近の読書
今日は祝日だ。雨で風が強く一日家にいる。最近読んだ本のことを書こう。
1.『「国語」入試の近現代史』 石川巧 講談社選書メチエ
今月初めの日経新聞書評でも取り上げられていた。(評者は石原千秋)。入試国語の研究書は少ないが、「入試現代文の生成と変容を通史的に述べた」本書は非常に面白かった。ただ、残念なのは、昭和50年代の共通一次の導入期辺りで分析が終わっていることだ。同世代の作者にはこれからも期待したい。
国語入試といえば、大学入試は500字の作文1題だった。たしか丸山真男の「盛り合わせ音楽会」を読んで感想を書くというものだったと思う。(記憶がハッキリしないので違っているかもしれない…)
別の年の作文(出題は夏目漱石の講演から)は、丸谷才一氏が褒めていたのを覚えている。(『桜もさよならも日本語』所収)。入試でどんなことを書いたかはすっかり忘れているのだが、最近は作文ではなく普通の読解問題らしい。
まあ、受験生の皆さんはどんな形式にせよ解くしかないのだ。がんばって下さい。
2.『東京奇譚集』 村上春樹 新潮文庫
最近村上氏の本は文庫でしか買わなくなってしまった。それは良いとして、この短編集で最も面白かったのは「どこであれそれが見つかりそうな場所で」だった。これを読んで、ゴーギャンの絵が見たくなってしまった。どうでもよい個人的な感想だが…
次は『ロング・グッドバイ』を読みたい。いやこれはまだ文庫になっていないか。
3.『週刊 司馬遼太郎Ⅰ、Ⅱ』 朝日新聞社
週刊朝日の連載をまとめたものだが、写真が豊富で、よく取材されていてなかなか良い。
今発売されているのはⅢなのだが、八重洲BCにはバックナンバーが積んであって買えたのだ。さすがだ…
1.『「国語」入試の近現代史』 石川巧 講談社選書メチエ
今月初めの日経新聞書評でも取り上げられていた。(評者は石原千秋)。入試国語の研究書は少ないが、「入試現代文の生成と変容を通史的に述べた」本書は非常に面白かった。ただ、残念なのは、昭和50年代の共通一次の導入期辺りで分析が終わっていることだ。同世代の作者にはこれからも期待したい。
国語入試といえば、大学入試は500字の作文1題だった。たしか丸山真男の「盛り合わせ音楽会」を読んで感想を書くというものだったと思う。(記憶がハッキリしないので違っているかもしれない…)
別の年の作文(出題は夏目漱石の講演から)は、丸谷才一氏が褒めていたのを覚えている。(『桜もさよならも日本語』所収)。入試でどんなことを書いたかはすっかり忘れているのだが、最近は作文ではなく普通の読解問題らしい。
まあ、受験生の皆さんはどんな形式にせよ解くしかないのだ。がんばって下さい。
2.『東京奇譚集』 村上春樹 新潮文庫
最近村上氏の本は文庫でしか買わなくなってしまった。それは良いとして、この短編集で最も面白かったのは「どこであれそれが見つかりそうな場所で」だった。これを読んで、ゴーギャンの絵が見たくなってしまった。どうでもよい個人的な感想だが…
次は『ロング・グッドバイ』を読みたい。いやこれはまだ文庫になっていないか。
3.『週刊 司馬遼太郎Ⅰ、Ⅱ』 朝日新聞社
週刊朝日の連載をまとめたものだが、写真が豊富で、よく取材されていてなかなか良い。
今発売されているのはⅢなのだが、八重洲BCにはバックナンバーが積んであって買えたのだ。さすがだ…
2008年3月16日日曜日
映画「ブレードランナー」
今日久しぶりに「ブレードランナー」(1992年版)を観た。
この映画は何回観ても飽きることが無い。今回感じたのは、レプリカントのリーダー役のロイ(=ルトガー・ハウアー)の演技がとても素晴らしいということだ。(まあこれまでもそう思っていたのだが、すごく久しぶりなので新鮮だったのだ。)
最後の独白シーンはアドリブだそうだが、見事だとしか言いようがない。
「敵役であったはずの人物が物語の真の主人公となるという破格のエンディング」(『ブレードランナー論序説』加藤幹郎)を迎えるのは、ルトガー・ハウアーの卓越した演技力によるものだろう。
この映画は何回観ても飽きることが無い。今回感じたのは、レプリカントのリーダー役のロイ(=ルトガー・ハウアー)の演技がとても素晴らしいということだ。(まあこれまでもそう思っていたのだが、すごく久しぶりなので新鮮だったのだ。)
最後の独白シーンはアドリブだそうだが、見事だとしか言いようがない。
「敵役であったはずの人物が物語の真の主人公となるという破格のエンディング」(『ブレードランナー論序説』加藤幹郎)を迎えるのは、ルトガー・ハウアーの卓越した演技力によるものだろう。
2008年3月15日土曜日
デカルト『書簡集』
前のエピクテートスに続き、今度はデカルト『書簡集』のことを書こう。これも感心した記憶がある。
彼は繊細さのために自分を苦しめ気鬱になった王女に次のように言う。
それはすなわち、あらゆる種類の悲しい思いから、精神を完全に解き放たなければならないということであり、さらにまたそれを、学問上のあらゆる種類の真摯な思索からさえも絶縁させ、ただ緑の森、色づいた花、飛ぶ小鳥、その他このような、注意力をまったく要しないものを眺めては、自分を思索とは無縁の衆生と考えている人たちの、真似をすることにのみ心をもちいなければならないということでございます。
(『書簡集』竹田篤司訳 白水社)
これは本当のことだと感じる。とにかく何でもよいから、自分の気分を明るくするものを見て、心を喜びの方へ向けよ、と言っているのだ。そして、こんな打ち明け話もする。
それどころかまた私は、喜びを内に秘めた心には、運命の女神がわが身のためいっそうの好意を示してくれるようになる、なにか秘密の力があるとさえ、あえて信じる者なのでございます。
喜びのある心は運命さえ好転させると言うのだ。「ただ運命の女神の出方次第にかかっている賭け事遊び」でも、喜びを抱いているときの方が憂鬱なときより運が良かった、としている。
つまり、心の持ち運び方が大切だ、と言っているのだ。これはいつの時代でも真実だろう。
彼は繊細さのために自分を苦しめ気鬱になった王女に次のように言う。
それはすなわち、あらゆる種類の悲しい思いから、精神を完全に解き放たなければならないということであり、さらにまたそれを、学問上のあらゆる種類の真摯な思索からさえも絶縁させ、ただ緑の森、色づいた花、飛ぶ小鳥、その他このような、注意力をまったく要しないものを眺めては、自分を思索とは無縁の衆生と考えている人たちの、真似をすることにのみ心をもちいなければならないということでございます。
(『書簡集』竹田篤司訳 白水社)
これは本当のことだと感じる。とにかく何でもよいから、自分の気分を明るくするものを見て、心を喜びの方へ向けよ、と言っているのだ。そして、こんな打ち明け話もする。
それどころかまた私は、喜びを内に秘めた心には、運命の女神がわが身のためいっそうの好意を示してくれるようになる、なにか秘密の力があるとさえ、あえて信じる者なのでございます。
喜びのある心は運命さえ好転させると言うのだ。「ただ運命の女神の出方次第にかかっている賭け事遊び」でも、喜びを抱いているときの方が憂鬱なときより運が良かった、としている。
つまり、心の持ち運び方が大切だ、と言っているのだ。これはいつの時代でも真実だろう。
自由ヶ丘「スイーツフォレスト」
エピクテートス『人生談義』
趣味の一つに新聞、雑誌のスクラップがある。気に入った記事をクリアファイルに保存しているのだが、今日それを読み返していて、10年前の日経新聞の記事でエピクテートスの『人生談義』についてのものがあった。秋山駿氏のエッセイで人生論についてだ。当時感心したもので、以下少し長いがエピクテートスの言葉を引用してみよう。
人生は軍務のようなものであるのを諸君は知らないか。或る者は歩哨をやらなければならないし、また或る者は戦うために出て行かなければならない。皆が同一の処にいることもできもしなければ、またより善きことでもない。だが君に何かもっと辛いことが課せられる時、君は将軍から課せられた任務を果たすのを怠って不平を言い、そして君に関している限り、軍隊がどうなるかということを理解していない。
というのはもし皆が君のまねをするならば、人は塹壕を掘りもしないだろうし、また保塁をめぐらすことも、危険を冒すこともしないだろう。むしろ戦争の役に立たぬように思われるだろうからだ。(中略)
……各人の生活は戦役、しかも長く複雑な戦役のようなものである。君は軍人の本分を守らねばならない。
(『人生談義』鹿野治助訳 岩波文庫)
武家の家訓を分かりやすく述べたような、ローマ時代の哲学者の言葉だが妙に胸を打つ。「各人の生活は戦役」であり、「人生は軍務のようなもの」というのはその通りだと思う。
人生は軍務のようなものであるのを諸君は知らないか。或る者は歩哨をやらなければならないし、また或る者は戦うために出て行かなければならない。皆が同一の処にいることもできもしなければ、またより善きことでもない。だが君に何かもっと辛いことが課せられる時、君は将軍から課せられた任務を果たすのを怠って不平を言い、そして君に関している限り、軍隊がどうなるかということを理解していない。
というのはもし皆が君のまねをするならば、人は塹壕を掘りもしないだろうし、また保塁をめぐらすことも、危険を冒すこともしないだろう。むしろ戦争の役に立たぬように思われるだろうからだ。(中略)
……各人の生活は戦役、しかも長く複雑な戦役のようなものである。君は軍人の本分を守らねばならない。
(『人生談義』鹿野治助訳 岩波文庫)
武家の家訓を分かりやすく述べたような、ローマ時代の哲学者の言葉だが妙に胸を打つ。「各人の生活は戦役」であり、「人生は軍務のようなもの」というのはその通りだと思う。
2008年3月9日日曜日
自由ヶ丘「蜂の家」のこと その2
忠臣蔵のこと
以前書いたが、最近は週刊新潮に連載している『謎手本 忠臣蔵』(加藤廣)が面白くて愛読している。本屋に寄れなくて立ち読みできない週は、ついキオスクで買ってしまったりするのだ。
ところでこれまで忠臣蔵関係で読んだのは、以下の3冊位だ。
1.『忠臣蔵とは何か』(丸谷才一 講談社文芸文庫)
2.『忠臣蔵 赤穂事件・史実の肉声』(野口武彦 ちくま新書)
3.『裏表忠臣蔵』(小林信彦 文春文庫)
この中で最も気に入っているのは2番だ。史料をよく読みこんだ力作で深く印象に残る。
ところで「刀傷松の廊下」の出来事は元禄14年(1701年)3月14日に起こっている。まあ暦の違いはあるが、現代はホワイトデーだ。吉良邸討入りの12月14日と共に記憶に残る日だ。
忠臣蔵がなぜ人気があるのか。一般的な見解(権威権勢への反発、不遇者への同情、討入達成までの浪士達の苦労への共感と大望成就の爽快感など:野口武彦氏による)とは別に丸谷氏が提示した「御霊信仰」と「カーニヴァル」の論点は斬新で面白かった。
ところでこれまで忠臣蔵関係で読んだのは、以下の3冊位だ。
1.『忠臣蔵とは何か』(丸谷才一 講談社文芸文庫)
2.『忠臣蔵 赤穂事件・史実の肉声』(野口武彦 ちくま新書)
3.『裏表忠臣蔵』(小林信彦 文春文庫)
この中で最も気に入っているのは2番だ。史料をよく読みこんだ力作で深く印象に残る。
ところで「刀傷松の廊下」の出来事は元禄14年(1701年)3月14日に起こっている。まあ暦の違いはあるが、現代はホワイトデーだ。吉良邸討入りの12月14日と共に記憶に残る日だ。
忠臣蔵がなぜ人気があるのか。一般的な見解(権威権勢への反発、不遇者への同情、討入達成までの浪士達の苦労への共感と大望成就の爽快感など:野口武彦氏による)とは別に丸谷氏が提示した「御霊信仰」と「カーニヴァル」の論点は斬新で面白かった。
2008年3月2日日曜日
Z会と市進の提携
数日前の新聞に、Z会と市進の提携のことが載っていた。だいぶ前にも書いたのだが、最近は塾・予備校の再編が加速している。少子化の影響で市場が縮小しており、昔は1兆円産業といわれていたが、今は9500億円位になっている。
Z会といえば、昔大学受験の頃やっていたのを思い出す。ペンネームを使うのだが成績優秀者に名前が載ると嬉しかった。「らぐらんじぇ」というペンネームの有名人がいて、彼は灘から理Ⅲに入ったのだが、小学校の時塾で知っていたK君なのだ。今はどうしているだろうか…
息子は4月から中2なのだが、いずれZ会をやるようになるだろうか。今は参考書もかなり出版していて、英語の「速読英単語」シリーズなど有名なものもある。昔なじんだ者としては、相変わらず頑張っているのは喜ばしいことだ。
Z会といえば、昔大学受験の頃やっていたのを思い出す。ペンネームを使うのだが成績優秀者に名前が載ると嬉しかった。「らぐらんじぇ」というペンネームの有名人がいて、彼は灘から理Ⅲに入ったのだが、小学校の時塾で知っていたK君なのだ。今はどうしているだろうか…
息子は4月から中2なのだが、いずれZ会をやるようになるだろうか。今は参考書もかなり出版していて、英語の「速読英単語」シリーズなど有名なものもある。昔なじんだ者としては、相変わらず頑張っているのは喜ばしいことだ。
2008年3月1日土曜日
マティスのこと
2月25日の日経新聞朝刊の文化面に、アンリ・マティス作「王の悲しみ」のことが載っていた。
マティスは最も好きな画家の一人だ。「王の悲しみ」はマティス晩年の切り紙絵の大作で、抽象画なのだが王らしき人物がギターと思われる楽器を手にしている。一目でマティスとわかる色の使い方だ。パリ国立近代美術館にある。いつか見たいものだ…
マティスが愛好していたテーマに「部屋の中から窓を通して外景を望む」がある。以前、京都でみた「開いた窓、コリウール」(ニューヨーク・ホイットニー・コレクション)は、色彩が目も眩むばかりの美しさで、圧倒されたことを思い出す。
同じテーマの「ヴァイオリン・ケースのある室内」(ニューヨーク、近代美術館)も是非見たい作品だ。明るい光が、開け放たれたバルコニーのドアから差し込み、室内のヴァイオリン・ケースが空や海の青色を反射している。
まあ、今は作品集を眺めるだけで満足するとして、いつか見に行くことにしようか。
マティスは最も好きな画家の一人だ。「王の悲しみ」はマティス晩年の切り紙絵の大作で、抽象画なのだが王らしき人物がギターと思われる楽器を手にしている。一目でマティスとわかる色の使い方だ。パリ国立近代美術館にある。いつか見たいものだ…
マティスが愛好していたテーマに「部屋の中から窓を通して外景を望む」がある。以前、京都でみた「開いた窓、コリウール」(ニューヨーク・ホイットニー・コレクション)は、色彩が目も眩むばかりの美しさで、圧倒されたことを思い出す。
同じテーマの「ヴァイオリン・ケースのある室内」(ニューヨーク、近代美術館)も是非見たい作品だ。明るい光が、開け放たれたバルコニーのドアから差し込み、室内のヴァイオリン・ケースが空や海の青色を反射している。
まあ、今は作品集を眺めるだけで満足するとして、いつか見に行くことにしようか。
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