2008年3月15日土曜日

デカルト『書簡集』

 前のエピクテートスに続き、今度はデカルト『書簡集』のことを書こう。これも感心した記憶がある。
 彼は繊細さのために自分を苦しめ気鬱になった王女に次のように言う。

 
 それはすなわち、あらゆる種類の悲しい思いから、精神を完全に解き放たなければならないということであり、さらにまたそれを、学問上のあらゆる種類の真摯な思索からさえも絶縁させ、ただ緑の森、色づいた花、飛ぶ小鳥、その他このような、注意力をまったく要しないものを眺めては、自分を思索とは無縁の衆生と考えている人たちの、真似をすることにのみ心をもちいなければならないということでございます。
 (『書簡集』竹田篤司訳 白水社)

 これは本当のことだと感じる。とにかく何でもよいから、自分の気分を明るくするものを見て、心を喜びの方へ向けよ、と言っているのだ。そして、こんな打ち明け話もする。


 それどころかまた私は、喜びを内に秘めた心には、運命の女神がわが身のためいっそうの好意を示してくれるようになる、なにか秘密の力があるとさえ、あえて信じる者なのでございます。

 喜びのある心は運命さえ好転させると言うのだ。「ただ運命の女神の出方次第にかかっている賭け事遊び」でも、喜びを抱いているときの方が憂鬱なときより運が良かった、としている。

 つまり、心の持ち運び方が大切だ、と言っているのだ。これはいつの時代でも真実だろう。
 

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