2009年9月27日日曜日

井上章一 『法隆寺への精神史』

 この本は今は絶版だ。今年のゴールデンウィークは図書館で借りて読んだのだが、このシルバーウィークにAmazonで古本を購入した。

 何故こんなに面白い本が絶版なのかよく分からないが(同じ弘文堂から出た『つくられた桂離宮神話』は講談社学術文庫に入っている)、あまり一般受けはしなくて売れなかったのかもしれない。

 エンタシス(円柱の中央部に膨らみをつけて立体感を付ける技法)のギリシャ起源論など、法隆寺論の歴史的変遷を丹念に追った本だが、日本文化論として秀逸だと思う。

 ただ残念なのは、著者自身の法隆寺論が展開されていないことで、この点は批判されたのか『伊勢神宮』では自らの神宮像を語っている。

 著者は関西ではTV番組に登場しているらしいが、関東でも是非見てみたいと思っているのは私だけではないだろう。(これは期待できないか。)

 

2009年9月26日土曜日

村上春樹 雑感その4

 村上春樹が『風の歌を聴け』で『群像』新人賞を取ってデビューしたのは、1979年のことだ。個人的には、この小説が最も気に入っている、というか愛着がある。

 「29歳の春の昼下がりに、神宮球場の土手式の外野席に寝ころんでいて」「突然何かが書きたくなって、新宿の紀伊國屋で万年筆と原稿用紙を買ってきた。」とある。(『村上春樹全作品1979-1989①』の作者による解説「台所から生まれた小説」)

 最初の何ページかは英語で書いて、それを日本語に訳すという形で進めたらしい。文章とチャプターが断片的なのはそのためだろうか。
 平野芳信氏の要約を少し引用しておこう。

 「恋人に死なれた大学生の僕は夏に帰省していた。ある日馴染みのジェイズ・バーで、女性が泥酔しているのを介抱する。彼女は親友の鼠の恋人らしいが、彼との仲がうまくいってないらしい。彼女がレコード店で働いているのを知った僕はそれとなく鼠に教えるが、二人の仲は好転しない。鼠は僕に彼女のことを相談しようとする。しかし、彼女は宿していた子供を中絶してしまう。同じような経験を持つ僕は、居たたまれない気持ちになり…(中略)。虚しく全てが終わり僕は東京に戻った。」

 <鼠>と<僕>の関係は、チャンドラーの『長いお別れ』のマーロウとレノックスをイメージしたらしが、「あんまり似ていない。」と言っている。まあ雰囲気は伝わってくるのだが。

 これほど上手くリアリズムから離れた、とういうか自由な小説が現れたのは、文学界にとってエポックメイキングな出来事だっただろう。芥川賞を取れなかったのは、今となればどうでもよいこととはいえ、少し残念な気がするが。
 

2009年9月25日金曜日

村上春樹 雑感その3

 村上春樹と陽子夫人は学生結婚だ。知り合ったのは、大学の最初の授業で隣り合わせになったこととか。

 ところで、陽子夫人の出身校は、四谷の雙葉ではないかと書いてあった(ような気がする。)
 確かに、「妻の実家は文京区」で「カトリックの女子校から来た」とのことで、『ノルウェイの森』の緑は夫人がモデルではないかとどこかで見たが、小説を読むと緑が四谷の雙葉出身であることはすぐ分かる。

 まあカトリックの女子校は、他にも聖心とか白百合とか田園調布雙葉などあるので何ともいえないが、可能性は高いと思うのだ。

 近い将来に、村上氏が世界的に有名になるかもしれない。その時これまで表に出ることが殆ど無かった(写真集『風のなりゆき (a‐tempo)』がある位か)陽子夫人も注目されるでしょう。

2009年9月23日水曜日

村上春樹 雑感その2

 国分寺でジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開店したのは、村上春樹氏25歳の時だ。この店は国分寺南口から左に少し行った所にあった。地下1階なのだが、地下に降りる階段は今もある。

 「スペイン風の白い壁、木製テ-ブルと椅子が品よくレイアウトされた店内は<ジェイズ・バー>をほうふつとさせる」というこの店には、残念ながら行ったことが無い。大学に入学した年まであったのだが、その時にはもう千駄ヶ谷に移っていた。

 前にも書いたが『TOUCH』という写真週刊誌が村上春樹を特集した時、店内での夫妻の写真が載っている。村上氏29歳の時らしい。陽子夫人は猫の絵(ピーターキャットと描いてある)のセーターを着ていて、村上氏は猫(ミューズ?)を抱いている。二人とも若い(まあ当然か。)

 もう少し国分寺にあったら、行く機会もあったと思うと少し残念な気がする。いずれ伝説の店?になるのだろうか。

 

村上春樹 雑感その1

 最も好きな作家の一人に村上春樹がいる。今回からしばらく、村上春樹について書くことにする。

 村上春樹は京都の伏見生まれで、小学校入学前に西宮市に移っている。これは、父親が甲陽学院の国語の教師として赴任したためだ。

 甲陽学院といえば、兵庫では灘と並ぶ進学校だ。灘より堅めの校風だと思うが、「教育者の家庭で育ったから、わりと厳しく育てられた。」とのことだ。

 国文学専攻らしい父親への反発からか、外国文学へ傾倒していったらしいが、個人的には「本はつけで買えた」という環境をうらやましく思ったものだ。「中学1年の時、『赤と黒』に感動しました。少年向きの本は一切読まず……早熟だったんだ。」というインタビューがあったが、読書量は半端ではなかったろう。

 1浪後、早稲田文学部に入学するわけだが、早稲田を選んだのは親元を離れたかったからだろうか?まあ、地元にいたままでは、作家村上春樹が誕生したかどうかは分からない。いやどこにいても作家or翻訳者になった可能性はあるような気はするが。

2009年9月22日火曜日

休日の百貨店

 昨日は、妻と玉川高島屋に行った。「ビゴの店」でレモンのパウンドケーキを買ったりしたのだが、ここのチョココロネとクロワッサンが妻のお気に入りだ。

 また、今日は新宿高島屋に出かけた。ここでは、「エール・エル」でワッフルを買ったのだが、味もそうだが、毎月新作が出ているので妻は時々寄るらしい。

 昨日、今日共に高島屋は割りと混んでいた。シルバーウィークで、遠出をしない人たちが来ているのだろうか?妻の買い物中にブラブラした紀伊國屋書店はそうでもなかったのだが。新宿の紀伊國屋は、久しぶりだったが、やはり品揃えが充実していて良い本屋だ。

 

2009年9月20日日曜日

浅間神社など

 昨日は、田園調布のくまざわ書店に行ったのだが、その前に多摩川浅間神社に寄った。ここは鎌倉時代に創建されたものだそうだが、行くのは初めてだ。午前中のせいか殆ど参拝者はいなくて、こじんまりとした良い雰囲気の神社だった。

 本殿は浅間造というらしく、社殿の上に別の社殿が乗った二階建ての建築様式だ。屋根には千木(ちぎ)と勝男木(かつおぎ)がある。(最近、井上章一『伊勢神宮』を読んだので、こういったところに敏感になっているのだ。)

 くまざわ書店では、石原千秋の新刊『名作の書き出し』(光文社新書)、『国語教科書の中の「日本」』(ちくま新書)などを立ち読みした。石原千秋はここ数年すごい勢いで本を出している。まるで小谷野敦のようだな……。まあ小谷野氏より売れているとは思うが。

 浅間神社の写真(本殿と神社からの丸子橋)を貼っておこう。




 

2009年9月12日土曜日

自由ヶ丘 「はらドーナッツ」

 今日は、いつものように午前中に妻と等々力紀ノ国屋に出かけ、帰りに自由ヶ丘に寄った。

 自由ヶ丘では、「はらドーナッツ」で買い物をしたのだが、ここのドーナッツは豆乳とおからを使用していて、神戸に本店があるそうだ。行列が出来ていたし人気があるらしい。

 最高気温が23℃と涼しい日で、久しぶりに雨が降った。もう残暑も終わりだと感じたがどうだろうか。

 店の写真を貼っておこう。




 

2009年9月6日日曜日

『和の思想』 長谷川櫂(中公新書)

 今日読んだ本だ。この作者の『「奥の細道」をよむ』(ちくま新書)が面白かったので、買ってみたのだ。

 「異質なものを調和させ、新たに創造する「和」」についての話で、まあよく言われている日本文化論なのだが、俳句、和歌が数多く紹介されているのがよかった。

 欲を言えば、もう少し厚い本ならなお良かったのだが。中公新書はある程度のボリュームがないと満足できない気がするのだ。