2009年7月26日日曜日

井上章一 『伊勢神宮』

 今日は午後から出かけて、くまざわ書店で『伊勢神宮-魅惑の日本建築-』(井上章一著)を買った。とても暑かったのだが、この本が買えて暑さも吹き飛んだ?気分になった。

 この本は、妻からの図書カードのプレゼントで購入したのだ。いつもながら、妻には感謝している。

 著者については、建築史関連の本はもう出さないのかと思っていた。800枚超の大作だ。この夏に読むのがとても楽しみなのだ。

三浦展氏のこと

 この週末は、三浦展氏の対談集『格差社会のサバイバル術』を読んだ。この中では、本田由紀氏、香山リカ氏との対談が印象に残った。

 以下、この二人との対談での三浦氏の発言をいくつか記しておこう。

1.データをみても、男性は正社員でないと結婚するのは難しい。少子化を解決するには、男性の正社員を増やすか、「私が夫を養う」という女性を増やすかだが、まずは男性の正社員化のほうが現実的である。

 
2.中曽根元総理の小泉自民党への発言の引用
 「昔の日本人は、地域や社会、家族にしっかり属した”粘土”のようなものだった。でも今は、そういうものから離脱して”砂”のようになった。”砂”のようになった国民には、小泉君のようなポピュリズムがいちばんいい。」

3.ヤンキーは、リアルなコミュニティが基盤にある。下流ではない。コミュニティから離れ、砂のようになった存在の代表が下流。典型は、郊外の1戸建てのマイルームに引きこもっているタイプ。

4.高度成長期には、「消費」することが、単に自己の満足だけではなく、日本の復興や成長という”大きな物語”に参加することだった。しかし70年代に入って、ある程度社会が豊かになってくると、”大きな物語”というよりも、自分の身の周りの暮らしを豊かにする消費に、欲望の対象が縮小した。さらに欲望の対象が縮小していって、最後に残ったのが「自分」だった。(物語がないと自分を上手く説明できないので、「自分とは何か」を掘り下げていく。)
 

 →少子化対策で、男性正社員を増やすというのは、確かに短期的には効果があると思う。「大きな物語の終焉」は、リオタールからの引用だろうが、「自分らしさへのこだわり」の理由として説得力がある。

2009年7月20日月曜日

夏の愛読書

 この週末から学生は夏休みだ。通勤電車が空くのはありがたいと、この時期になると思うのだ。

 ところで、毎年夏になると読む本があり、今回はこのことを書こう。

1.『大統領の密使』 小林信彦著 ちくま文庫

 1970年の夏を舞台にした、オヨヨ大統領シリーズの1作を長年愛読している。「”戦後”という時代への一種の鎮魂曲(レクイエム)」というこの名作が何故絶版なのか-これは前にも書いたが-どうしても理解できない。

2.『風の歌を聴け』 村上春樹著 講談社

 これも1970年の夏の物語だ。(8月8日から8月26日)。初めて読んだのは、高校生の時で初版を買った。講談社英語文庫の英訳を持っているのだが、これは絶版だ。こちらはあまり売れなかったのか…。

3.『パパは神様じゃない』 小林信彦著 ちくま文庫

 この本の、「夏の父親」と「またしても夏」、「夏の終わりに」の章を愛読している。1972年と73年なのだが、葉山の海岸、特に学生キャンプストアの描写は何度読んでも良い。残念ながら、これも絶版ですね。

国際数学オリンピック

 今年の国際数学オリンピックは、日本は過去最高の2位だった。(これまでの最高は6位)

 6人中5人が金メダルというのは、快挙だろう。特に副島君は3年連続金メダルで、今回は満点での金だ。満点は2人で、ついに世界のトップになった。

 彼の父親は、昔仕事の関係で、少し知っていたのだ。そういえば、算数オリンピックでも金メダルだったし、才能は昔からだな。このまま数学界で大成して、例えばポアンカレ予想を解決したグリゴリー・ペレルマン(彼も数学オリンピックでは満点の金メダル)のようになって欲しいものだ。

2009年7月19日日曜日

『日本のメリトクラシー』竹内洋

 この週末は『日本のメリトクラシー』竹内洋著を、図書館で借りてきた。

 前から買おうと思っているのだが、まだ家に無いのだ。

 この本の最後に、昔疑問に思った注釈(調査からの知見)が載っており、それも買っていない理由の一つだ。(この注釈はあえてここには書かないが。)

 しかし、私の会社の幹部に、常に本を平行して6冊~7冊読むという読書家がいる。だいぶ以前にこれを知った時、この知見は例外が多いのではと感じた。

 こうした例をいくつも知るようになってからは気にならなくなったのだが、まあそれはともかく、この本の最終章「結論 日本のメリトクラシー」は非常に示唆に富んでいる。とくに、日本では試験が「精神の官僚制化」をもたらすという指摘は鋭いと思うのだ。

2009年7月12日日曜日

新宿高島屋など

 今日は、妻と新宿高島屋に買い物に行ってきた。靴など買ったのだが、心なしか空いていたような気がした。やはり不況の影響だろうか?

 いつものように紀伊國屋書店に寄ったのだが、息子の学校の先生が、国語の本を出していたので立ち読みした。

 これが、良い内容で感心した。長文読解問題が2題載っているのだが、志望する受験生には非常に参考になるだろう。

 これまで、記述が多いこの学校は解答を発表したことはない。入試問題とは違うとはいえ、設問は同様の内容であり、模範解答と解説が載っている。かなり話題になるのではないだろうか。

 息子はといえば、この夏は、国語の卒論の準備で忙しいか。頑張ってほしいものだ。

2009年7月11日土曜日

大平正芳氏のこと

 最近、中公新書『大平正芳』を読んで、この政治家のことを少し調べている。

 大平氏の「楕円の哲学」-互いに相反する2つの中心を対峙させ、両者が作り出す均衡の中に調和を見つけようとする態度-や、語録「人間は強くないし、また愚かでもある。そういう諦観がありますな、私には。しかし、そこでとどまってはいかんわけで、いずれ枯れる朝顔でも毎日水をやるでしょう。そういう気持ちを大事にしたい。」などには惹かれるものがある。

 氏の大学の卒業論文「職分社会と同業組合」は、昔大学の頃読んで感心した記憶がある。内容はすっかり忘れてしまったが。(論文の概要はこの本に紹介してある。)

 今後も、少しずつ研究してみようと思うのだ。まあ時間に余裕があればだが。

庄司薫 『狼なんかこわくない』

 この週末読んだ。何年ぶりか忘れたが、とにかく久しぶりだった。(文庫旧版が家にあるのだが、文庫新装版を買ったのだ。)

 昔-高校生の頃-庄司薫には夢中になった。『喪失』をはじめ『赤頭巾ちゃん気をつけて』などの4部作や、この『狼なんかこわくない』は何度読んだか分からないくらいだ。

 今回読んで思ったのは、解説にもある通り、これは政治学のテキストとして使えるということだ。

 また、印象的だったのは、御厨貴氏の解説にある、「東大駒場(政治学)でのゼミ合宿で『赤頭巾ちゃん』4部作を取り上げたところ、学生たちは文庫新装版ではなく、古い単行本や文庫旧版の本を家から持ってきた。また庄司薫にファンレターを出した学生の母親もいた。」というエピソードだ。

 こういう親たちの息子、娘が東大生になるという、文化資本の再生産のよい例だなと納得してしまうのだ。

 ところで、我が家にも文庫旧版は揃っているのだ。いつか息子が読む日がくるだろうか……。
 

2009年7月5日日曜日

角川文庫 夏の100冊

 夏になると、早川書房のフェア「夏のブックパーティー」のことを書いていたのだが、最近はやっていない。

 ここ数年は、角川文庫のフェアでブックカバーをもらっているのだ。2冊買うともらえるのだが、今年は『怪談・奇談』(ラフカディオ・ハーン)と『偶然の祝福』(小川洋子)にした。

 ラフカディオ・ハーンは随分昔読んだ記憶があるのだが、結構面白いので驚いた。『雨月物語』の「菊花の約」、「夢応の鯉魚」と共通する話もあり興味深かった。

 小川洋子は『博士の愛した数学』ぐらいしか読んでいなかったのだが、この短編集はなかなかの出来でしょう。ところどころ村上春樹を想起させる文章がある-大切にしているもの、慈しんでいるものの消滅といったテーマに、共通しているところがあるからだろうか-。

ウィンブルドンテニスのこと

 ウィンブルドンは、今日が最終日で男子シングルス決勝だ。

 先週末に、大学時代の友人7名と河口湖に遊びに行って、その時テニスを-10年振り位に-したのだ。さすがに感覚を取り戻すのに時間がかかったが、まあまあの出来だった。

 そういえば、クルム伊達が今年のウィンブルドンに出場した。京都出身で、四ノ宮クラブで腕を磨いた彼女を、昔見たことがある。まだ小学生だった。また、1989年にウィンブルドンに初出場した試合-アメリカのジーナ・ガリソンが相手-を留学中に観戦した。端のコートで観客は少なかった。その試合は負けてしまったが、あの時サインをもらっておけばよかったな。

 あれから20年経って、現役に復帰するのはすごいことだ。京都の誇りだと思うのだ。

遠藤周作 『肉親再会』

 この週末は遠藤周作の短編『肉親再会』を読んだ。

 石原千秋氏の本の中に、この短編の一部から出題した入試問題が載っており、原作を前から読もうと思っていたのだ。

 『最後の殉教者』(講談社)の中に入っていて、図書館で借りてきた。

 1961年に発表されており、この頃遠藤氏は体調を崩していたので、書かれたのはその前年辺りか。フランス(リヨン大学)に留学しているし、1959年には夫人とフランスに旅行しているので、パリの描写はさすがと思わせるものがある。

 「かつて生活のために芸術(絵画)を諦めた兄が、まだ俳優になる希望を捨てていない妹に会うことで、かつての自分を見つめ直す物語」(石原千秋)なのだが、この中に出てくる中世美術館-これはクリュニー美術館のことだろう-の「木彫の基督像」はとても印象に残った。

 ルーブルとオルセーは、昔留学していた時に行ったのだが、クリュニーはまだ観ていないい。いつか必ず行きたいものだが、どうなるでしょうか。