2010年1月31日日曜日

竹内洋 やさしい経済学

 1月18日から日経新聞に連載されていた竹内洋氏の「日本型大衆社会の誕生」が面白かった。

 最近、テレビ文化人が妙に目立つようになってきたなという印象があったのだが、竹内氏の分析によると、

1.知識人やテクノクラート(官僚・経営者)は、それぞれ若者・革新大衆と実務人・保守大衆をサポーターとして棲み分けていた。しかし、知識人の普遍知とテクノクラートの専門知もそれ自体では権力性を持ちにくくなり、大衆感覚にたっぷり浸し、濾過しなければならなくなった。

2.このため、これまでは知識人やテクノクラートの知の配信者であり、二流の文化人という役どころだったテレビ文化人が屹立し始めて、大衆的お墨付きを後ろ盾にして、独自の存在となった。彼らこそメタ(高次の)大衆の表象=代表だからである。

3.知識人もテクノクラートも、テレビ文化人化することなしには、影響力の行使もままならない。大学は文化人化したスポーツ選手や芸能人を客員教授に招き、審議会はテレビ文化人を指名する。

4.しかし、そうした所作で知識人とテクノクラートは自らの足場を崩し、彼らの憂鬱は増すばかりとなった……。

 ということになる。この鋭い指摘はさすが竹内氏だ。これ以外にも、事業仕分けが中世の顕示的公共性の再現だとか、匿名化した誹謗中傷の書き込み(2チャンネル等)は、仮想空間での群集の氾濫であるなど、なるほどと思わせるものがあった。

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